図書館で三浦展著の「誰がこの街をつくったか」という新刊を借りてきました。
成城学園や国立、東久留米、成蹊学園などその他かなり詳しく深掘りしています。
成蹊学園の部分でまず今の家に引っ越す前に30年近く住んでいた濱家洋館が中心に取り上げられていて驚きました。
最初は2階の半分を借りていましたが隣が空いたので10年以上2階全部を借りて住んでいました。
大家さんが敷地を何度か切り売りされて、一部市の公園になっていたのを通り抜けできる公園として追加で売却された折に住んでいた洋館の移築が必要になり、残念ながら引っ越ししなければならなくなりました。

窓の前に大きな紅葉があって本当に美しかったのは最初の一年だけでしたが、そのほかにも市の指定木になっている大木が何本も生えていて野鳥がいつもたくさん来ていました。
敷地内に生えた編笠茸を干して食材にしたり、山椒の木があり、花が咲くとそれを収穫してしゃぶしゃぶの薬味にしていたのも懐かしいです。
住んでいた最後の数年前に有形文化財指定をされました。

最初に濱家敷地に住んでいた友達を訪ねて出入りした50年前頃は美学者の徳太郎氏もオールドノリタケの創業者の森村市左衛門の末のお嬢さんだった富士さんもご健在でした。
まだ広大だった敷地内に山小屋風な木造の住宅にお住いでした。
濱徳太郎氏は東大美学科の卒業制作が未来派の建築で戦前に結婚されてドイツまでコルビジェに会いに行ったそうです。
パリに行く前でしょうが、村山知義が最初に建てたとんがり屋根の家を無理矢理譲ってもらって住んだと村山知義の本に書いてありました。
画家、ドイツで学んだタンツのダンサー、進撃の演出家とさまざまな顔を持つ芸術家ですが吉行あぐりの美容院などの建築家としても有名です。
日本にほとんど作品が残っていないドイツ時代の村山知義の絵を何枚か近代美術館に寄贈されています。
日本で当時立派な家が立つ5000円という高額な車(日本位3台しかなかったブガッティ)を買って奥さんの兄に頼んで又5000円送金してもらったとか。
日本クラシックカークラブ初代の代表でトヨタのミュージアムに所蔵された車を何台も寄付もされています。
二代目大家の濱素記さんが業者を入れずにペンキやほとんど全ての修理をされていました。
素記さんも趣味人で晩年まで趣味で車を作ったり、近くの武蔵野ホールでご自分の企画で音楽の会を開催されたりされていました。
posted by エタラージュ at 17:14|
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